病理解剖について
病理解剖とは死体解剖保存法に基づき、亡くなった患者さんの解剖を行うことです。最善の治療にも関わらず、不幸にして亡くなった患者さんの病気の状態、病気の診断と治療効果を判定する目的で、その遺体を解剖させていただくことです。
臨床医は患者さんの病気の診断と治療に力を尽くしますが、必ずしもすべてが解明されているとは限りません。さまざまな未解決の問題を抱えているのが普通です。これらの問題を解明する最も有力な手段が病理解剖です。
病理医は、亡くなられた患者さんの臓器を目のあたりにし病気の本態を調べます。また治療がどの程度うまくいっていたか、どんな問題点があったかも明らかにします。しかし、病理解剖をすれば全てが分かるわけではありません。中には最後まで亡くなった原因が掴めないこともあります。
但し、病理解剖の結果原因不明の死因なのか、病理解剖が行われず原因不明かは大きな違いがあります。病理解剖の結果は、臨床病理カンファレンスで検討されます。私達の病院では臨床医と病理医が集まり、解剖した全症例を検討しています。
医療従事者個人にとっても、医学そのものにおいても完全、完璧ということはありえません。医師は何らかの問題を抱えているために、解剖を遺族にお願いするのです。ご希望があれば病理解剖の結果を遺族の方にご報告しています。また、当院では毎年ご遺族の方と共に病理解剖を行わせていただいた御霊の慰霊祭も行っております。
患者さんが亡くなり悲嘆にくれている遺族に対して病理解剖のお願いをするのは医師にとっても辛いものです。どうかご理解の上ご協力をお願いいたします。
病理解剖の今日的意義
病理解剖とは
人体(死体)解剖には系統解剖、法医解剖、病理解剖の三つがあります。
系統解剖は人体の構造を究明するために、解剖学において行われます。
法医解剖は、犯罪が関与した死体あるいはその疑いのある死体について裁判上の鑑定のために行われる司法解剖と、不自然死あるいは異状死体について死因究明のために行われる行政解剖あるいは承諾解剖とがあります。
病理解剖は、病死者を遺族の承諾のもとに病理医が行う解剖のことで、死因をはじめ病変の本態、種類、程度や治療の効果および影響などを解明するために行われます。
病理解剖の歴史
病理解剖の最初の記録は、1286年にイタリアでペストが流行した際に病因解明のために胸部の部分解剖を行ったものとされています。病理解剖を病因追及の手段として初めて位置づけたのは、ルネッサンス時代、病理解剖が医療の水準を高めるのに貢献し始めるのは18世紀に入ってからです。 1832年ウイーン総合病院の病理医長に就任したカール・ロキタンスキーは、ロキタンスキー法とよばれる解剖手法を考案し、肉眼的な記述病理学を徹底して疾患の形態学的特徴を明確にしました。1856年にベルリン大学の病理学教授に就任したウィルヒョウは個別臓器の系統的な検索を重視する解剖手法であるウィルヒョウ法を開発し、見落としのない病理解剖の確立に貢献しました。
その後、顕微鏡性能の向上、染色法の確立、パラフィン包埋法やミクロトームの発明、ホルマリンを固定液に用いたことなど、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて今日の病理解剖の基礎的技術は完成しました。歴史的に病理解剖が最も盛んだったのは、ヨーロッパにおいては1800年から1910年までの110年間です。これは当時病理解剖が最も有力な病理学的研究の手段であったためで、実験病理学や生検材料を用いた研究の登場によって、研究手段としての病理解剖は次第に衰退して来ました。
20世紀の初め、アメリカの医学水準は低く、剖検を通じて臨床診断の誤りが多数証明され、1910年に医学教育と医療の改善を目的として病理学と剖検の重要性が強調されました。その後のアメリカの急速な医学水準の向上は、病院における剖検数の増加と剖検率の向上と相関しています。アメリカにおける剖検率は1930年代に徐々に増加し、第二次世界大戦後きわめて急激に上昇してピークとなり、1950年の剖検率は病院死亡患者の約50%に達しました。しかし1950年代の後半には減少を始め、1984年には14%に低下し、この減少傾向は今日もなお続いています。
その理由として
- 剖検数が急激に増加した結果、病理医の負担が増加し、剖検をいやがるようになった。
- 臨床検査法の進歩の結果、病理業務に占める臨床検査の重みが経済的にも医学的にも増し、病理医の時間と関心の多くを占めるようになった。
- 政府の研究費が増加し、研究費を得ることで名声や昇進、給与の増加を得ることが可能になった。そのために論文の書きやすい実験的研究に病理医の関心が向かった。
以上の要因に加えて、1980年以降の各種画像診断法の著しい進歩と普及に伴って臨床医の病理解剖に対する関心が低下したことや、医師に対する社会的不信感の増大により剖検承諾が得にくくなったことも剖検率の著しい低下の原因と考えられています。このような剖検率の低下はアメリカだけでなく先進国で共通にみられる現象です。
日本における剖検率の推移を見てみると1958年は全体で45.1%、うち大学病院に限ると48.8%で、他の病院でも39.2%ときわめて高率でした。しかしその後剖検率は低下の一途をたどり、1995年には20%(大学病院22.6%、他の病院12.4%)と著しく低下してきています。
剖検率と臨床研修病院
認定医制教育病院の認定基準などに剖検率は重要なファクターであり、臨床研修病院の指定基準でも、日本内科学会認定医制教育病院の認定基準においても必要な剖検率が明記されています。さらに、日本内科学会認定内科医資格認定試験・認定内科専門医資格認定試験の受験資格にも剖検症例が必要であり、剖検報告書の提出が義務づけられています。
病理解剖の今日的意義
種々の原因によって世界的に剖検率が低下してきていますが、医学的に必要であったり、公衆衛生上あるいは法律上病理解剖を行っておいた方がよいと思われる症例がたくさんあります。 医療ビッグバンでは、外資の参入や厳しい競争原理が導入されます。医療における競争原理とは単に経済的な側面だけではなく、医療内容に対する公正な評価が要求されます。日本の場合、剖検は診療点数に含まれず金銭的にはほとんど各病院の持ち出しであるという問題もありますが『医療の質の向上に不可欠である』という点が病理解剖の今日的意義の重要な部分を占めるものと考えられます。